2016年06月07日
あの日から…
2016年4月に熊本県全域で発生した地震により、被災された皆様ならびにそのご家族の皆様、関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
私の住む南阿蘇村は、4月16日を堺に人生が変わってしまいました。
個人なやりとりで、知人友人には元気してますと、メッセージを送りましたが、
やっと自分のことをブログに書く気になれたので、
あの日を忘れない為にも、記録したいと思います。
14日の地震(前震)でシャンデリアが落ち、ちょっと怖いなぁと思いなと思いながら片付けをした15日。
その日の夜もいつも通り布団に入りました。
16日。
ドーンと突き上げられる衝撃と共に、強い揺れ。
寝ている体は起き上がれない程の揺れでしたが、
隣の布団で寝ていた主人が娘に覆いかぶさり
布団を頭からかけました。
もう、言葉は発せませんでした。
私は柱を握りしめて、飛ばされないように必死でした。
揺れがおさまり、窓から出ろという主人の言葉で、外に出たものの、
別の部屋で寝ている長女、義父母がまだ外に出ないので、
大声で娘の名前を呼び、主人は携帯電話のライト頼りに中へ。
幸いみんな無事で、外へでてきました。
何が起こっているかわからず、放心状態の中、駆けつけた親戚から、本家が倒壊し、娘さんが生き埋めになってると。
慌てて出ようとするけれど、石垣の崩落で車が出せず。
男性陣は歩いて現場へ。
その後5時間たち、娘さんは、こたつの中で寝ていたのが幸いし、
挟まれることなく、無傷で脱出との連絡がありました。
暗闇の中でも家が倒壊しているとはっきりわかる。
なぜなら、周辺全てが倒壊してしまったから…
それから、しばらく庭で火を炊き、寒さをしのぎ、ザァーとかゴーという不気味な音に恐怖を感じながら、色々な人と連絡。
電波の入らない携帯に苛立ちながらも、やっと繋がったのは、経営するアパートの学生さんから。
「うちのアパート2名不在ですが、もともと今日は、部屋にいないみたいなので、今部屋にいる子は全員無事で駐車場にいます!」
「本当に?みんな大丈夫?」
声にならない返事をしました。
「今から閉校した小学校へ避難して!1年生を連れて行って。ごめんね。すぐに行けなくて。」
「わかりました。こちらはまとまって行動します」
涙がとまりませんでした。
みんな無事で本当によかった。
余震の恐怖に怯えながら、聞いたのは電車の脱線するようなすごい音。
まさか、その音が阿蘇大橋の崩落の音とは知らずに…
何もできずただ怯えながら、何度も続く余震のたびに子どもたちを守りながら夜明けを待ちました。
そして、だんだん明るくなるにつれ見たものは、土砂崩れをおこした山。
消えた阿蘇大橋。
30センチ以上そっくりそのまま動いた我が家。
深さ1メートルの亀裂が何十メートルも続いている…
涙も出ませんでした。
非現実の世界でした。
それから…
連絡のつかない学生を探しに行ったりと普段歩くことのない道なき道を歩いていきました。
…長い長い1日でした。
子どもたちもショックが大きかったのでしょう。中学生の娘は地震自体の記憶がありません。
本当にこの地区で怪我なく無傷でいれたのは奇跡と今でも思っています。
つらいですがこれが現実です。
でも、たくさんの友人、知人が会いにきてくれたり、電話してくれたり、物資を送ってくれました。
ちょっとでも私のことを思ってくれたという気持ちが本当にうれしいです。
今でも心配してくれて、なんかいるものない?って聞いてくれます。
私もいつか恩返しできる日がくるのかな?なんて思えるようになりました。
まだまだ避難生活で、帰っても住めない家の片づけや、アパートのこと…
正直いっぱいいっぱいになる毎日です。
残念ながらまだ水もきていません。
前向きに頑張る!という言葉はまだ先の話になりそうです。
親戚宅、友人宅も全壊し、すべてを失っています。
なので荷物を取り出せるだけ幸せと思っています。
避難所では嫌なことも辛いこともたくさんありました。
でも、日赤さんや自衛隊さん、ボランティアさんに本当に助けてもらいました。
感謝の気持ちを忘れずに…
辛いときは、地震直後「何にもいらない、みんな無事でよかった」と思ったあの気持ちを
思い出すようにと弁護士さんから言われました。
本当にその通りです。
私の住む南阿蘇村は、4月16日を堺に人生が変わってしまいました。
個人なやりとりで、知人友人には元気してますと、メッセージを送りましたが、
やっと自分のことをブログに書く気になれたので、
あの日を忘れない為にも、記録したいと思います。
14日の地震(前震)でシャンデリアが落ち、ちょっと怖いなぁと思いなと思いながら片付けをした15日。
その日の夜もいつも通り布団に入りました。
16日。
ドーンと突き上げられる衝撃と共に、強い揺れ。
寝ている体は起き上がれない程の揺れでしたが、
隣の布団で寝ていた主人が娘に覆いかぶさり
布団を頭からかけました。
もう、言葉は発せませんでした。
私は柱を握りしめて、飛ばされないように必死でした。
揺れがおさまり、窓から出ろという主人の言葉で、外に出たものの、
別の部屋で寝ている長女、義父母がまだ外に出ないので、
大声で娘の名前を呼び、主人は携帯電話のライト頼りに中へ。
幸いみんな無事で、外へでてきました。
何が起こっているかわからず、放心状態の中、駆けつけた親戚から、本家が倒壊し、娘さんが生き埋めになってると。
慌てて出ようとするけれど、石垣の崩落で車が出せず。
男性陣は歩いて現場へ。
その後5時間たち、娘さんは、こたつの中で寝ていたのが幸いし、
挟まれることなく、無傷で脱出との連絡がありました。
暗闇の中でも家が倒壊しているとはっきりわかる。
なぜなら、周辺全てが倒壊してしまったから…
それから、しばらく庭で火を炊き、寒さをしのぎ、ザァーとかゴーという不気味な音に恐怖を感じながら、色々な人と連絡。
電波の入らない携帯に苛立ちながらも、やっと繋がったのは、経営するアパートの学生さんから。
「うちのアパート2名不在ですが、もともと今日は、部屋にいないみたいなので、今部屋にいる子は全員無事で駐車場にいます!」
「本当に?みんな大丈夫?」
声にならない返事をしました。
「今から閉校した小学校へ避難して!1年生を連れて行って。ごめんね。すぐに行けなくて。」
「わかりました。こちらはまとまって行動します」
涙がとまりませんでした。
みんな無事で本当によかった。
余震の恐怖に怯えながら、聞いたのは電車の脱線するようなすごい音。
まさか、その音が阿蘇大橋の崩落の音とは知らずに…
何もできずただ怯えながら、何度も続く余震のたびに子どもたちを守りながら夜明けを待ちました。
そして、だんだん明るくなるにつれ見たものは、土砂崩れをおこした山。
消えた阿蘇大橋。
30センチ以上そっくりそのまま動いた我が家。
深さ1メートルの亀裂が何十メートルも続いている…
涙も出ませんでした。
非現実の世界でした。
それから…
連絡のつかない学生を探しに行ったりと普段歩くことのない道なき道を歩いていきました。
…長い長い1日でした。
子どもたちもショックが大きかったのでしょう。中学生の娘は地震自体の記憶がありません。
本当にこの地区で怪我なく無傷でいれたのは奇跡と今でも思っています。
つらいですがこれが現実です。
でも、たくさんの友人、知人が会いにきてくれたり、電話してくれたり、物資を送ってくれました。
ちょっとでも私のことを思ってくれたという気持ちが本当にうれしいです。
今でも心配してくれて、なんかいるものない?って聞いてくれます。
私もいつか恩返しできる日がくるのかな?なんて思えるようになりました。
まだまだ避難生活で、帰っても住めない家の片づけや、アパートのこと…
正直いっぱいいっぱいになる毎日です。
残念ながらまだ水もきていません。
前向きに頑張る!という言葉はまだ先の話になりそうです。
親戚宅、友人宅も全壊し、すべてを失っています。
なので荷物を取り出せるだけ幸せと思っています。
避難所では嫌なことも辛いこともたくさんありました。
でも、日赤さんや自衛隊さん、ボランティアさんに本当に助けてもらいました。
感謝の気持ちを忘れずに…
辛いときは、地震直後「何にもいらない、みんな無事でよかった」と思ったあの気持ちを
思い出すようにと弁護士さんから言われました。
本当にその通りです。
Posted by りんらん at
15:44
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